建物と歴史

本堂
本堂大間
御本尊 釋迦牟尼佛
脇侍  文殊菩薩
    普賢菩薩
寄棟造り・銅板葺きです。堂内は釣天井造りで大間に柱が無いのが特徴です。
開山当時の建物は享保14年(1729年)の大火に見舞われ、堂塔•佛具•過去帳等を焼失。
十世義勇和尚の代に再興されましたが、明治17年(1884年)大火に遭い、さらに明治31年(1898年)9月23日に焼失、 現在の本堂は大正5年(1916年)に建立され、平成19年に瓦葺きから銅板葺きに改修されました。

大間の天井には眞野暁亭の筆になる龍の墨絵があり、東西の堂中の襖には十六羅漢と東側の襖の裏側には竹林の七賢人の墨絵があります。
また、本堂内陣の天井には二十一世義岳和尚の筆になる花鳥の絵があります。
本堂大間(大正5年撮影)
現在の本堂外観
天井絵(眞野暁亭 画)
本堂の襖絵
聯芳堂(開山堂)
入母屋造・銅板葺きです。大正5年に建てられた建物は、平成19年本堂屋根替・山門屋根替と共に改築されました。
正面に御開山蘭翁嫰之大和尚の御尊像・御真牌と二世中興奇山快秀大和尚の御真牌が祀られ、 右に永平寺御開山道元禅師の御尊像・御真牌、左に總持寺御開山瑩山禅師の御尊像・御真牌、 更にその両脇に歴代住職の御真牌が祀られております。
聯芳堂・御尊像
山門
楼門総欅造・銅板葺きで昭和8年に建立されました。
二十一世義岳和尚の発願で、当時大円寺(宮古市小国)の住職であった二十二世義雄和尚に命じ、 伐採した欅で建てられたもので、屋根から扇状に突出する『扇垂木造り』が特色です。
山門の周囲には様々な彫刻がはめこんであり、扉には『天女』が彫り込まれ・大蟇股には『牡丹に鳳凰』が、 扉の両側には『昇り龍』『降り龍』が彫刻されてあります。
山門楼上には『十六羅漢』を奉祀し、漢訳の大蔵経が納められています。
以前山門屋根には鯱がのせられておりました。この鯱は、 南部家からの下賜の盛岡城乾の門の由緒あるものと言い伝えられていましたが、 長年風雨にさらされ、破損が著しく平成8年に補修し現在は客殿玄関に保存されております。
山門(昭和8年落成・撮影)
現在の山門
山門安座の旧鯱
山門楼上の十六羅漢
位牌堂
昭和47年に建立され、鉄筋コンクリート造2階建て、1階は半地下構造で預骨堂となっており、 2階は位牌堂となっています。
当寺檀信徒戦没者の位牌も祀られております。
位牌堂
客殿・庫裡
大正末期に建てられた建物は老朽甚だしく昭和61年に発願、平成8年に改築されました。
鉄筋コンクリート2階建て、鉄板瓦葺きで、法事・集会に充てるため2階に大広間と大講堂があります。
庫裡(平成8年落成・撮影)
ロビー
大広間(和室)
慈雲閣(観音堂•永代供養塔)
明治35年(1902)に建立され、平成8年客殿・庫裡とともに改築されました。
木造平屋造・重層屋根・大唐破風様式です。堂内には盛岡三十三観音の二番札所として、 七体観音菩薩と、今は廃寺となった迎接庵より安置された十番札所の白子観音菩薩が祀られているほか、 津島天王・三宝大荒神が合祀されています。
また、南部家から下賜された太鼓があり、南部の角土俵当時に使用された由緒ある太鼓です。
現在は、永代供養塔として堂内須弥壇下に永代供養された方の遺骨が納骨されております。

※永代供養をご希望のお檀家様はご相談ください。
七体観音菩薩像
慈雲閣外観
慈雲閣
稲荷堂
平成9年に改築されました。祭神は穀倉稲荷大明神です。
工事の際、旧霊祀の礎石に使用されていた石柱に正徳2年(1712)の刻字がありました。
稲荷堂
鐘楼堂
大正5年に建立されましたが、梵鐘は昭和17年戦争たけなわとなり、鉄等金属類の献納を強要され、 やむなく供出、現在の梵鐘は昭和46年、檀家総代の一人故藤田喜平殿の発願で寄贈されたものです。
鐘楼堂
大晦日・除夜の鐘
放光塔(忠霊塔)
 元陸軍基地にあった忠霊塔を二十二世義雄和尚が、戦争殉難者供養のためにこの地に移設したものと伝えられております。
寺宝・文化財・歴史上の遺物
仏像
本尊 釋迦牟尼如来坐像
地蔵菩薩坐像
(平成2年5月 盛岡市指定文化財に指定される)
江戸中期以前の京仏師の作とみられる優作であります。
地蔵菩薩坐像
観音菩薩半跏像
三観音坐像
如意輪観音坐像
准胝観音坐像
馬頭観音坐像
これらの仏像は江戸末期に活躍した土澤(現花巻市東和町土沢)の仏師菊池勇治が製作したもので、 同仏師の注文控帳によれば、五観音と記録されていますが、現存しているのは三体で、いずれも観音堂に安置されています。
屏風・掛軸・歴史上の遺物
達磨図 承陽大師道元禅師行状記、自画像、他
作者 海野 三岳
靫猿図、文宣王図、他
作者 海野 楳岳
花鳥図
作者 狩野 探信
十六善神図
作者 狩野 林泉
幽霊図
作者 川口 月嶺
江戸時代寺子屋絵図、三社神図、他
作者 芝田 灌水
花鳥図六曲一双屏風
作者 田鎖 鶴立斎
達磨図、金屏風、他
作者 真野 暁亭
達磨図(海野三岳・筆)
靫猿図(海野楳岳・筆)
庚 申 塔
盛岡市最古の庚申塔で享保17年(1732年)に建立されたものです。
切支丹の墓石
キリスト教禁制時代の信徒の墓石は寛文2年(1625年)に建立されたものです。
久昌寺に眠られている先人の方々
新渡戸稲造家の墓所
 "願わくはわれ太平洋の橋とならん"盛岡が生んだ偉大な国際的文化人、新渡戸稲造父祖の墓所が当寺に祀られている。 新渡戸稲造は南部盛岡藩士新渡戸十次郎の三男として文久2年9月1日(1862年)盛岡にて誕生。新渡戸家は下野国新渡戸 の郷館に居住していたが、慶長の頃、南部利直に仕え花巻城主となり、文政9年(1826年)盛岡城の支配下に属し維新を 迎えられました。
父十次郎常訓は禄高百五石余で、藩の勘定奉行、蝦夷地御見分役、三本木新田御用懸等を勤めました。 祖父伝・常澄は三本木野(現青森県十和田市)の開拓に従事し、開拓の祖といわれています。稲造はカナダで 客死し、メリー婦人とともに東京多摩霊園に永眠しています。

新渡戸稲造家の方々
新渡戸十次郎:盛岡藩士
新渡戸傅  :盛岡藩士

他、先人の方々
猪川静雄  :教育者、言論人
池田龍甫  :日本画家
海野三岳  :洋画家
海野楳岳  :日本画家
太田孝太郎 :郷土史家
加藤健   :詩人
高橋伊兵衛 :盛岡金融界先覚者
橘正三   :茶人、文化人
星川正甫  :盛岡藩士、郷土史家
三田義正  :貴族院議員
宮昌太朗  :南部鉄器クラフト界先駆者
参考資料 先人ゆかりの寺めぐりガイドブックより
環境保護地区の指定
久昌寺境内を含む寺町一帯は、昭和48年盛岡市環境保護地区に指定されました。
曹洞宗 奕葉山 久昌寺
〒020-0828 岩手県盛岡市大慈寺町1-5
電話:019-622-2378 FAX:019-653-4050
メール:kyushoji@vega.ocn.ne.jp
住職:海野朋孝  東堂:海野講榮
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